初心者オタクのおくるアニメ備忘録

オタクの生活。二次元から栄養素を摂取して生きる生命体の観察記。

読書感想文 その① 『イリヤの空、UFOの夏 その1』

 アニメ備忘録と題しておきながら、いきなりラノベの感想になってしまった。反省しきりではある。ひとつ弁明をさせてもらうならば、なんだかんだ就活が忙しくってアニメを見るまとまった時間が結局取れなかったのだ。これからもラノベや漫画の紹介の方が多くなるとは思う。ただ、就活ももう終わって随分暇になったので、これからはちゃんとアニメも見られると思う。

 

 

 

イリヤの空、UFOの夏

 

 2000年代における傑作の1つと名高い電撃文庫発刊のライトノベル。全4巻。作者は秋山瑞人先生。

 

 いわゆるセカイ系の傑作として前々から名前は聞き知っていたのだが、恥ずかしながら大学4回生になるまで読んだことが無かった。おそらく、あまりにも傑作すぎたからこそ読む機会が無かったのだと思う。

 

 週に4回もアルバイトなんて入りたくない!でも飲み会は行きたい!

 

 私の心からの叫びである。多くの大学生がこの魂の咆哮に共感してくれると思う。

 

 働きたくないのである。でも、欲しいもの、やりたいことはどんどんうず高く積もりるもっていくばかりなのだ。飲み会に行きたいし、旅行にもいきたい。ZOZOTOWNでセールやってたらついついカートに入れちゃうし、緋弾のアリアのポップアップストアが開催されたら馳せ参じてしまうのである。飾る場所もないタペストリーをほくほく顔で持って帰り、ハッと我に返るまでがワンセットだ。

 

 そんなわけで、とかく私には金がない。ぺらっぺらの財布を抱えた足が向かうのは古本屋ばかりである。

 

 古本屋にも名作は沢山眠っていて、いまかいまかと頁が繰られるのを待っている。しかし、往々にして冊数の少ない名作たちは購入者の本棚で大切に守られているのだ。

 中学時代からオタ活に励む私が、『イリヤの空、UFOの夏』ほどの傑作を読んだことがないのは、つまりそういうことなのだ。読み返しやすい4巻完結にして、あまりにも完成された物語の構成。いじらしいイリヤの姿や、軟弱ながらもカッコつけようとする等身大の主人公、浅羽。彼と彼女が読者の心を鷲掴みにして、手放させないのだろうと思う。

 

 実際そりゃそう思うよな、とは思う。読後、ぽっかりと胸に空いてしまった穴を埋めるためにも、皆手放せなくなるのだろう。イリヤが小説四冊分の質量に心を変えてしまって、胸から心を取り出してしまうからこそ、自分の心を手放すわけにはいかなくなって、本棚の隅を守ってもらうのではなかろうか。傷つかない様に、汚れない様に。

 

 

 

 さて、前向上が長くなったが、ここらでつらつらと感想を書き始めようかと思う。あんまり内容には触れないが、どうしてもネタバレになる部分は出てくるので、まだ読んだことの無い方は一度本記事を読む手を休めて貰えれば幸いである。

 

 『イリヤの空、UFOの夏』は、平凡かつ健全な男子中学生・浅羽直之(あさばなおゆき)が、夏休み最後の日に、中学校のプールに忍び込むところから始まる。中学二年の夏休み最後の日なのだ、しかも時刻は午後八時を回ったところ。提出期限まで残り13時間を切っているのに、宿題の山は手つかずのままに放置されているのだ。そして、そんな状況なのに主人公である浅羽直之は警備員がいやしないかと怯えながら、学校のフェンスを乗り越えているのだ。

 

 この時点で、この状況設定の時点で、全国の中高生男子は、かつて中高生男子であった成人男性たちは、この物語に引き込まれているのではなかろうか。宿題の山がうず高く積もっている。やりたくないと目を背けることは簡単だが、次の日に担任から雷を落とされることを恐れ、泣きながら夏休み最後の夜を机に向かって過ごす。結局終わらなくて、教師の目を気にしつつ必死に答えを写す......。かつて誰しもが経験したファンタジーと現実の境界線を、浅羽は軽々と乗り越えていく。

 

「めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と誰かが言っていた。」

「だから、自分もやろうと決めた。」

 

 『イリヤの空、UFOの夏 その1』冒頭からの引用である。このたった2文で、私はすっかり浅羽の虜になってしまった。

 

 実は、浅羽は破天荒な先輩に連れられて貴重な中学生の夏休みを山籠もりをして過ごしており、ほとんど夏休みらしいことが出来ていない。そんな背景の下、浅羽は中学2年生の夏休みを楽しむのだと免罪符を大事に抱えて学校のプールに忍び込んだのだった。

 

 そして、彼はそこで非日常に出会うのだ。

 

 

 誰にも見られていないのに、几帳面に水泳帽を被った少女、イリヤに。

 

 

 

 

 つまるところ、この作品は浅羽直之と伊里野加奈のボーイミーツガール作品と言える。プールで出会った謎の少女が浅羽のクラスに転校してきて、浅羽直之と不器用ながらも交流を深めていく。

 まるで世間知らずな彼女は、どうしようもない非日常の皮を纏っている。ときたま鼻血を出し、しょちゅう校内放送で先生ではない謎の人物から呼び出されてはそのまま早退し、いつも決まった時間に壊れて使えないはずの固定電話からどこかに電話をかけている。何故か、手首のリストバンドを外そうとしない。教室にいるには明らかに不自然な、創作物の中にしかいない少女。

 人付き合いも不器用な彼女は、教室の人間関係にも馴染めない。儚い美貌を誇っているにも関わらず、誰とも喋らない、一種の不可侵。浅羽直之だけが彼女との接点を持っている。ただ、夜のプールであったことがあるというだけで、二人は仲良くなっていく。

 

 この作品の特徴的なところを挙げるとするならば、浅羽直之と伊里野加奈がどれだけ交流を重ね親交を深めたとして、二人の間には決定的な溝が引かれており、その溝を飛び越えるには浅羽はあまりに力不足だというその一点ではないだろうか。

 

 ラノベの主人公ならば、ピンチになれば本人にも訳が分からない謎の力が沸き上がってくるものではなかろうか。急に機転が利くようになるかもしれないし、幸運に救われるかもしれない。概して、勇気を出せばなんらかの形で状況が好転する。

 

 しかし、どこまで行っても浅羽直之は我々と同じ現実世界の住人で、イリヤとの間にはどれだけ距離を縮めようとしても決定的に透明なガラスの壁があり、その向こうには行かれない。宿題を捨て置いて夜のプールに忍び込んだ我々の英雄は、結局我々の側の人間なのだ。

 

 等身大な中学生男子として成長しながらも、どこまでも無力な主人公。目の前でイリヤが苦しんでいると知りながらもどうしようもない。我々の英雄たる彼で出来ないのならば、きっと小説のこちら側の我々の中にも、どうにかできる人間はいないのだ。

 

 小説を読むとき、私は現実逃避の手段として小説を使っていたような気がする。主人公に自分を重ね合わせ、活躍する自分を想像する。想像力の乏しい私には、活躍する自分の雛形をくれる小説は最高の娯楽にして生活必需品だった。『緋弾のアリア』を初めて読んだときの、キンジへの憧れとカッコよさへの渇望はまだ私の中にある。

 

 高校生になり、大学生になり、社会人生活が見えてきている。年を重ねるにつれて小説に自分を重ね合わせる癖は抜けて、単に物語として楽しむようになってきた。

 だが、まだどこかに自分を重ね合わせる癖が残っていたのだろう。本作を読んだとき、それを痛感させられた。小説の世界に入っても活躍できないのだと、現実と非日常の境界線が嫌になるほどはっきりしていて多少根性を出したぐらいじゃどうにもならない現実を突き付けてくる作品だと言える。

 

 そういう意味では、この作品を中高生の時分に読まなくてよかった。無力感に打ちひしがれてもうラノベを読めなくなっていたかもしれないから。

 

 

 

 ここらで一旦記事は締めさせていただく。1巻の感想だけを書くつもりだったのだが、気づけば全体的な感想を書き連ねてしまっていた。文同士の間隔も詰まっていて割と分量自体はある作品なのだが、するすると読めてしまう点、章が巻を跨いで前後編になっている、等の構成が1巻だけ、というより1~4巻でひとまとまりとして脳に認識させるのかもしれない。

 文章や言葉選びの美しさも本作の魅力と感じているが、キャラと物語の魅力語り、そして小説を読んだ私の脱・厨二病の過程の筆致に紙面を使ってしまった。また時間が空けば、2~4巻の感想も載せたいと思う。

 

 実は、所謂セカイ系の作品にはあまり触れたことがない。エヴァハルヒぐらいだろうか。父に誘われほしのこえを観た時はまだ小学生だか中学生だかで、はっきり覚えてもいない。最終兵器彼女もいずれ読まなければならない。

 

 では、このあたりで。